"人はみごとに咲き誇る花を見たとき、なんとすてきな花だろうと誉めます。でも、その花の種をまいて育てた人のことは何も知りません。
的場さんは、初めてアルゼンチンに足を踏み入れたときから、タンゴの魅力にとりつかれた人です。そして、日本にタンゴの種を最初にまいた人でもありました。"
「タンゴの種をまいた人」
(日本音楽家協会副会長 見砂直照、1985 10・14 よみうりホール “愛 Charity Concert”プログラムより抜粋)
19歳の時に、アルゼンチンに渡り、タンゴの魅力にとりつかれたその時から、最後まで生涯ラテン音楽を愛し、日本でのラテン音楽の発展に努めた株式会社マトバの初代社長、ホルヘ的場實のプロフィールをご紹介します。
1911年2月21日 | 東京に生まれる。 |
1929年 |
府立第一商業の卒業後、インド洋アフリカを回って65日目、盛夏の2月にブエノスアイレスに着く。 カルロス・ガルデル(アルゼンチンの美空ひばり的存在歌手)や著名な音楽家達と多く知り合い早くもタンゴの魅力にとりつかれた。 |
1934年 |
毎晩タンゴバーに通い詰めた結果、肺結核になりやむなく帰国 |
1935年 |
カルロス・ガルデルが飛行機事故に遭った年、日本の工芸美術展覧会を貿易局がブエノスアイレスで開くにあたり、嘱託通訳として再度アルゼンチンへ渡る。 オデオンレコード200枚を持って帰国、これを原盤に日本コロンビアからアルゼンチンタンゴアルバムが日本で初めて出た。 |
1939年 |
大島テルと結婚。 SADAIC(アルゼンチン作詞作曲家協会)の駐日代表を当時の同会長フランシスコ・カナーロより命ぜられる。 |
1952年 |
スペイン・メキシコ・ブラジル他中南米諸国の音楽著作権協会駐日代表となる。 |
1978年 |
メキシコ政府より日本に於けるメキシコ音楽家の保護と発展に奉仕したことで外国人に与えるものでは最高の“アギラアステカ”文化勲章受与する。 |
1980年 |
著作権にはユネスコ条約(サインした以降有効)とベルヌ条約(過去に遡る)がある。最初ユネスコ条約に加入したのにベルヌ条約なみに徴収した差額が宙に浮いていたものをSADAICに渡した功績でビデラ大統領来日の折“リベルタドールサンマルティン”文化勲章を受与。 |
1982年7月 |
東京都千代田区聖イグナチオ教会にてテルと共に受洗。 |
1982年10月 |
ローマでのCISAC(各国音楽著作権協会団体) 第33回世界大会にオブザーバーとして出席。 その際バチカンのヨハネ・パウロ二世に謁見。 唯一人、法王様よりサインを頂く。 |
1984年7月8日 |
帰天 73才。 |
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